4/16の講義の際にスライドで見たものを現地で確認したいとの意見があり、メンバー
で話し合い中之島界隈の歴史建造物などを見学することになりました。
見学した場所は、日本銀行大阪支店、豊國神社跡、府立中之島図書館、中央公会堂、
難波橋通称ライオン橋、大阪俵物会所跡、大阪証券取引所最後に適塾です。
日銀の建物は緑の丸天井が特徴のネオルネサンス様式で建てられています。
行内見学と建設当時の応接室や復元された階段室を見学し、当時の雰囲気を味わい
ました。
また1億円の重さの札束、もちろん模擬紙幣ですが、持ち上げさせてもらいましたが
大変重たいもので、持って逃げることなどはできないと実感しました。日銀に持ち込
まれたお札で処分されるために細かく裁断された紙幣の屑をお土産にもらいました。
次に市役所と中央図書館場所の間にあったといわれる豊國神社跡には予想通り
モニュメント類も何もありませんでした。
中央図書館正面の石柱は真ん中部分が膨らんでおり、ギリシャ神殿を模したものでした。
図書館には大阪関連の古い資料があり、昭和初期の地図を閲覧しました。
講義の際に昭和初期の大阪駅の表記を「たほさか」と説明されたのですが、違和感
があったので当時の地図で確認したかったからです。
「た」ではなくワ行の「を」と想定していたのですが、地図では見分けがつきません
でした。図書館職員さんにくずし字辞典で確認してもらったのですが、判然としませ
んでした。メンバーの一人が箕面市にある勝尾寺の道標の写真を調べたところ勝尾寺の
「お」の字がワ行の「を」と「をほさか」駅の「を」と同じ字形であることが確認
できました。学術的なことはよく分からないところですが、自分たちでは納得できた
ところです。古い地図では市役所と中央図書館の間に豊國神社がしっかりと記載され
ており、難波橋のライオン像が豊國神社への参道入口にあったことが実感できました。
また道路拡幅前の御堂筋は本町あたりで屈折していたことも確認できました。
中央公会堂の屋根上のメルクリウス像は肉眼では見えずらかったのですが、撮影した写真を
拡大したら、2体の像とケーリュケイオンの杖を見ることが出来ました。
大阪俵物会所跡は石碑だけが残っています。干アワビ、フカヒレ、干ナマコなどの売買場所
であり明治の初め頃まであったところです。
江戸時代の主要な輸出品は金、銀、銅などであったが、流出が激しいことから海産物
で代替を図ったものです。干アワビ、フカヒレ、干ナマコなどを高級食材として中国に輸出して
いたと記録されています。
証券取引所建物前の五代友厚の銅像はよく見るのですが、取引所内に初めて入りま
した。資料室も見学し、五代友厚署名のある取引所開設申請書や大蔵卿大隈重信名
の開業免状も展示されていました。
最後に国の重要文化財に指定されている適塾を見学しました。
蘭和辞典であるヅーフ辞典を塾生が書き写した部屋であるヅ-フ部屋は「女中部屋」と
「塾生大部屋」の間にあり3畳ほどの小部屋で、塾生が時を空けずに使用したと言わ
れています。
座学で学習することと併せて現地確認することで大阪を再発見ができた思いました。
日銀や証券取引所などなかなか中に入ることができない場所を見学できたことも
収穫でした。
今後も講義に関連することだけにとどまらず、幅広に探究しボケ防止にも役立てたい
と思っています。
以上7班からの校外学習報告でした。
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