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【思い出】交通事故のメモリ

① 交差点で右折しようとしたところ、アイスバーンになっていて 角にあった交番に突っ込んだ。フエンスだけの損傷だった。

② 雪の下り坂道を低速で走っていて、子供が飛び出し咄嗟にブレーキを踏んだらスリップして、子供をはねたらいけないのでハンドルを切り民家の石垣に激突!!救急車が出払っていて普段使用していない救急車で病院へ運ばれた。途中で救急車がエンストして消防隊員が降りて病院まで押して移動(約15分)救急の役割になっていなかった!

③ 消防署の前でバイクにはねられた。道路に叩きつけられて、意識不明。警察から意識が戻れば出頭するように連絡があって退院後行けば私が加害者になっていた。(私は車を路上駐車して降りたところ)バイクの大学生に警察官が「君は悪くない」とか言ったらしい。後日現場検証のやり直しで逆転になったけれど、意識が戻らなかったら、加害者のまま、死んでいたのかもしれない。

今は 余生を楽しんで生きています。【M】

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【思い出】「裏窓」の思い出

昭和30年(1955年)叔母に連れられて十三の映画館でヒッチコック監督の「裏窓」を見た。 ジェームズ・スチュアート主演、グレース・ケリー助演という感じで、のちにテレビドラマの「ペリー・メースン」シリーズで主演の弁護士役だったレイモンド・バーも犯人とおぼしき役で出演していた。 この年は私が小学校へ入学した年である。この映画の日本公開は1955年1月14日となっているから、入学前だったかもしれない。

【思い出】転勤から地域を知る

(12月5日の講義で)地域を学ぶ~地域の歴史のとらえ方、から資料として紹介された遠野物語と闘病記文庫入門が興味深かった。 自分史というところから振り返った自分の生活歴史は、日本全国高裁のある地を移動 2~4年住むと、旅行で訪れるのとは異なり地域に住みついて知る地域性、その地での交わりはよい経験、私の宝となっている。 闘病記は60代から現在まで入退院くり返し、日常の生活をいかに病に負けずに楽しみなが

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