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【思い出】東映時代の江本投手

2023年12月7日、大阪市内で行われた「福本豊・江本孟紀の波乱万丈の野球人生 そしてアレを語る!」という対談を聞きに行ってきた。 元阪急ブレーブスと元阪神タイガースのスター選手だった二人の現役時代の面白い話がいっぱいで、会場は爆笑の渦に包まれていた。 江本投手については、南海のエースだった時に阪神の江夏投手との大型トレードで阪神に移ってきたことは多くの人の記憶にあると思う。 しかし、江本投手が南海に入る前に東映フライヤーズの投手だったことを知る人は少ないのではないだろうか? きょうの江本氏の話では、江本投手は高知商業のエース兼4番バッターでセンバツの出場も決まっていたのに、大会直前に同校の暴力事件のため出場辞退になり、非常にガッカリしたようです。 その後、法政大学へ進学したものの監督とそりが合わず、4年生時には試合に出してもらえなかったこともあってドラフトでどこからも指名されなかったため、社会人野球の熊谷組に入社した。 1970年には社会人野球で活躍したが、やはりドラフトでは指名されなかった。しかし、1971年の1月になって東映のドラフト2位だった選手が入団しなくなったので、その穴埋めで急遽ドラフト外で入団できたとのことだった。 こうして1971年(昭和46年)に東映に入団したが、この年は26試合に登板して0勝4敗、防御率5.02で与四球35、暴投5という成績だった。 私はこの年に江本投手が西宮球場の阪急戦で投げるのを見ています。 西宮球場のアウェー側のブルペンは、レフトのファウルゾーンにあって、一塁側の内野スタンドからよく見えたが、ものすごく速くていい球を投げる投手が目についた。 その後、8回裏に敗戦処理で出てきて無難に0点で抑えたが、いい投手だなあという印象を持って帰宅した。 すると、その年のシーズンオフに南海へトレードになり、すぐに16勝を挙げてたちまち南海のエースになった。 おそらく、南海の野村監督が素質を見抜いて引っ張ったのではないかと思われる。 球は速かったがノーコンで、リーグの年間最高記録だったのが、与四球2回、与死球2回、暴投4回、ボーク5回で、生涯24個のボークは未だに破られていない歴代最高記録です。 兼任捕手だった野村監督がうまくリードして活躍させたということでしょうか(笑)。

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