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【思い出】阪急西宮北口駅

阪急神戸線と今津線は、西宮北口駅で交差している。 現在の今津線の線路は、西宮北口駅で北側と南側の線路が分断されているが、1984年まではつながっていた。 すなわち、ダイヤモンドクロスと言って、地上部で神戸線と今津線両方の線路が直角に交わっていたのである。 路面電車では他にもあったようだが、高速の鉄道では極めて珍しいものだったようだ。 当然、電車の車輪が通過する必要があるので、交わっている部分は少し隙間が空いており、ここを低速で車輪が通過するときには、大きなゴトンゴトンという音と振動で、これを体験するのが好きであった。 今津に親戚があったので、幼稚園や小学校低学年のころ、母親に連れられてよくこの駅で乗り換えたが、この駅の今津線のホームで電車を待っていると、線路の向こう側に宝塚歌劇の大きな広告看板があった。 女優の顔が大きく描かれているのだが、例の宝塚独特の歌舞伎の隈取のようなケバケバしい化粧の顔で、子供心にちょっと怖かったのを覚えている。 なんであんな化粧をするのかな?と長い間不思議に思っていた。

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【思い出】「裏窓」の思い出

昭和30年(1955年)叔母に連れられて十三の映画館でヒッチコック監督の「裏窓」を見た。 ジェームズ・スチュアート主演、グレース・ケリー助演という感じで、のちにテレビドラマの「ペリー・メースン」シリーズで主演の弁護士役だったレイモンド・バーも犯人とおぼしき役で出演していた。 この年は私が小学校へ入学した年である。この映画の日本公開は1955年1月14日となっているから、入学前だったかもしれない。

【思い出】転勤から地域を知る

(12月5日の講義で)地域を学ぶ~地域の歴史のとらえ方、から資料として紹介された遠野物語と闘病記文庫入門が興味深かった。 自分史というところから振り返った自分の生活歴史は、日本全国高裁のある地を移動 2~4年住むと、旅行で訪れるのとは異なり地域に住みついて知る地域性、その地での交わりはよい経験、私の宝となっている。 闘病記は60代から現在まで入退院くり返し、日常の生活をいかに病に負けずに楽しみなが

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