2021年7月6日にONCC総合文化を学ぶ科でご講義いただいた松永和浩先生編著のご本です。 とても興味深い内容ですので、紹介させていただきます。 ものづくり上方"酒"ばなしー先駆・革新の系譜と大阪高等工業学校醸造科ー 監修 大阪大学総合学術博物館 代表 橋爪節也
編著 松永和浩
発行所 大阪大学出版会 発行 2012年10月26日 大阪大学総合学術博物館では創立10周年を記念し、第15回企画展「ものづくり 上方“酒”ばなしー先駆・革新の系譜と大阪高等工業学校醸造科ー」(2012年10月27日~2013年1月19日)が開催されました。
本書はその主要な展示資料を写真掲載し、詳細な解説を付けたものです。
日本列島の酒の歴史において、上方および大阪大学は、生産・技術の発展に重要な役割を果たしてきました。
明治30年(1897)国内初の醸造科が大阪工業学校(のち大阪高等工業学校、大阪大学大学院工学研究科の前身)に誕生し、全国から多くの造り酒屋の子弟が入学し、醸造業の近代化に貢献する多数の有能な人材を輩出した経緯は圧巻です。
本書は、日本における古代からの酒の歴史と、苦心の末すぐれた洋酒を製造販売するまでの努力の過程を、豊富な図版を駆使して、易しく面白く説明しています。
表紙の右側2段目の写真は、テイスティングする竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創業者)です。
左側2段目の写真は、大正11年(1922)の有名な赤玉ポートワインの日本初のヌードポスターです。
右下の赤レンガの建物は、明治24年(1891)に吹田村に竣工した当時最新式の近代的ビール工場(現アサヒビール吹田工場)です。
もう1枚の図版は、江戸時代後期の「銘酒づくし」(全国の銘酒の番付)です。
一見して上位陣は圧倒的に伊丹の酒が占め、灘は下位の方ばかりですね。
江戸時代も後期になると、船で江戸へ積み出す酒は、海辺に位置する灘の方が輸送コストで優位なこともあり、量的には灘の方が圧倒するのですが、ブランドとしてはまだ伊丹が有名だったのかもしれませんね。
東の大関は剣菱、西の大関は老松ですね。
菰樽のマークからわかりますね。
他にも現在まで残っている銘柄がいくつかあります。
わかりますか?
わかった方は、よろしければコメント欄に書いてみてください。
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